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(10月~12月)「天保9年、江戸幕府・諸国巡見使への献立」

連携展示「ひろがる食の輪 ~岡山の食文化~」参加企画

 江戸時代に幕府は、各地の領主の施政を知るために、将軍の代替わりごとに民情監察の巡見使を派遣しました。
 このたびは沖新田三番(現・中区藤崎)で大庄屋を勤めた藤原家に由来する古文書(当館所蔵「藤原文庫」)に、天保9年の巡見使を岡山藩で迎接した際の資料がまとまって存在することがわかりましたので、その中から食事の献立を中心に紹介を行います。
 なおこれは、近隣11機関の連携展示「ひろがる食の輪 ~岡山の食文化~」へ参加して開催するもので、会期中に連携展示の関連シンポジウムを開催します。

藤原文庫と巡見使関係資料

 昭和31年10月に当館へ寄贈された藤原家旧蔵文書(「藤原文庫」)は、旧上道郡藤崎村(江戸時代の沖新田三番、現在の中区藤崎)で大庄屋を勤めた豪農、藤原家に伝わった約1000点の古文書で、近世の干拓農村の暮らしを知るのに欠かせない貴重な資料です。
 近年の資料調査とデジタル化準備作業で、その中に将軍家斉の隠居と家慶への代替わりに際して派遣された天保9年(1838年)の諸国巡見使の関連文書が約50点、まとまって存在することがわかりましたので、このたび連携展示「ひろがる食の輪 ~岡山の食文化~」に寄せて、巡見使へ供された料理の献立を中心に、判明した関連文書をすべて展示します。 

1 天保9年の諸国巡見使

 江戸幕府は将軍の代替わりごとに巡見使を派遣して民情の監察を行いました。巡見使には、私領と天領の別なく全国を廻った諸国巡見使と、幕府領(天領)を巡察した御領所巡見使がありますが、諸国巡見使は寛文7年(1667年)(一説に寛永10年(1633年))から天保9年まで派遣され(以後は幕末の財政窮乏と世情不安で中止)、各地の所領の寺社数、町数、切支丹の改め、飢人の手当、孝行人、荒地、番所、船数、名産、鉱物、古城址、酒造人数、牢屋敷等々を聴取して領主の施政を把握し、幕政に反映するべく報告しました。
 監察は全国を8つの地域に分け、それぞれ3人1組で一斉に行われましたが、天保9年の巡見使では中国地方に諏訪縫殿助(すわぬいのすけ 使番)、竹中彦八郎(西の丸小性組)、石川大膳(西の丸書院番)が派遣されました。巡見使は千石から数千石取りの幕臣が任命さるのが通常で、1名につき数名の直属の部下と10数名の近習者、および20数名の足軽や供回りが随行して30~40名ほどの人数になったので、3名の巡見使では100人ほどの一団となり、迎える側の準備も大変でした。
 受け入れ側は事前の情報収集に努め、傷んだ道路や橋梁を修築し、必要な人足と馬匹、水夫と船舶などを揃えました。巡見使の昼休憩と宿泊には、城下や街道筋の宿場町なら本陣か、藩の施設(藩主のための御茶屋や賓客用の御客屋といわれた建物)が利用されましたが、視察の目的から僻地へ赴くことも多く、在方(農山漁村部)の村々をまわるときは座敷のある上層の農民や商人の家か、寺院があてられました。
 巡見使一行は相場の価格の米代と宿泊料をきちんと支払い、食事も一汁一菜と決められていて、過剰な接待はしないことになっていましたが、実際はそうもいかなかったようです。休泊所となった民家にはしばしば藩の費用で門や湯殿、雪隠が増設され、道路の清掃やさまざまな物資の手配などで藩士も領民も奔走しました。

「伯雲両州聞合書写(はくうんりょうしゅうききあわせがきうつし)」の画像
「伯雲両州聞合書写(はくうんりょうしゅうききあわせがきうつし)」

 中国地方の巡見は美作国に始まり、山陰を西進して長門国から東へ向かい、備前国は最後の訪問地でした。
 この文書は、さきに伯耆国と出雲国を訪れたときの巡見使の様子を三保関で聞き取ってきた内容が写し伝えられたもので、藤原文庫には安芸国での様子を伝える別の文書もあります。
 掲出のページには一行の総人数が108人であることや、諏訪様は豆腐を、竹中様と石川様は「麦御飯を御好み」などと記されています。

「御巡見御通行之の節御尋も有之時在役人共御答心得(ごじゅんけんごつうこうのせつおたずねこれあるときざいやくにんどもおこたえのこころえ)」の画像
「御巡見御通行之の節御尋も有之時在役人共御答心得(ごじゅんけんごつうこうのせつおたずねこれあるときざいやくにんどもおこたえのこころえ)」

 巡見使から質問があったとき、案内などをした在方の役人(大庄屋、庄屋などの村方の役人)が無難な返答をするために与えられていた想定問答集です。掲載のページには、銀札は円滑に流通しているか、勝手向き(財政のやり繰り)はうまく行っているか、などの質問への模範答案が書かれています。
 このような準備が入念に行われるようになったため、一説には江戸時代も後期になるにつれて諸国の私領への巡見は形式的になり(天領は別で、悪政があれば統治者は譴責を受けた)、儀礼化したともいわれていますが、幕府が全国支配の威光を知らしめるための重要な役割を担っていたことに変わりはありません。

「御巡見道筋御出張場所見取絵図(ごじゅんけんみちすじごしゅっちょうばしょみとりえず)」の画像
「御巡見道筋御出張場所見取絵図(ごじゅんけんみちすじごしゅっちょうばしょみとりえず)」

 巡見使が通る道筋で、視察をする場所の見取り図が作成され、用意されていました。ここに掲出したのは金川村(北区御津金川)の訪問先の図です。事前準備が綿密になされていた様子がうかがえます。

「御巡見御通行御休泊所入用持送り諸道具目録(ごじゅんけんごつうこうごきゅうはくじょいりようもちおくりしょどうぐもくろく)」の画像
「御巡見御通行御休泊所入用持送り諸道具目録(ごじゅんけんごつうこうごきゅうはくじょいりようもちおくりしょどうぐもくろく)」

 巡見使は幕府の御朱印や具足一両のように権威を示すものや、実務で必要な多くの荷物を運びながら移動しましたが、巡察を受ける側でも用意した多数の道具を各村の休泊所へ持ち送りました。受け入れる側が準備のために作成したこの目録では、御朱印台、塗り三宝、熨斗、硯など、さまざまな道具の一覧が数ページにわたって続いています。

2 巡見使への献立

 岡山藩領内の各村を巡回する巡見使に提供される料理(休憩所での昼食と、宿泊所での夕食と朝食)の献立を一覧にして記した文書が1通、藤原文庫に含まれていました。
 それをみると、一汁一菜が公儀の定めでしたが、規則通りというわけにもいかず、岡山藩では一汁三菜(煮物を含む一汁二菜と、香の物)を基本としており、また、ここに掲出していない別の文書には船中で酒や菓子が手配されたことも記されています。
 天保9年に巡見使が備前国を訪れたのは旧暦7月の夏季でしたが、鯛やみょうが(文書中では、茗荷、めうか)がしばしば出され、うなぎ蒲焼(勝尾村)や、とうがん(とうくわん)もあり、車えび、はまぐり、しいたけ、長いも、牛房(ごぼう)、かいわれ菜などと、大根、瓜、茄子などの漬物(香の物)が出されています。こうしてみると季節の食材など、領内でとれるさまざまな産物を中心にして取り揃えられていますが、100名余りの一行へ滞りなく食事を提供するには入念な準備が行われたものとみられます。

「「御巡見様在中御休泊御献立書上帳(ごじゅんけんさまざいちゅうごきゅうはくごこんだてかきあげちょう)」から、西阿知村御泊」の画像
「御巡見様在中御休泊御献立書上帳(ごじゅんけんさまざいちゅうごきゅうはくごこんだてかきあげちょう)」から、西阿知村御泊

 この興味深い献立書き上げ帳から、一例をみてみましょう。
 岡山藩は備中国にも少しの領地があり、文書は西阿知村での宿泊時の献立で始まっています。 晩の献立は、洗い鯛、本のり、きくらげからなる一品(文書に欠損があります。刺身か膾のようなものでしょうか)、煮物(大かまぼこをやめて鯛切身、長芋、かいわれ)、香の物(瓜と茄子の漬物)、味噌汁(粒椎茸、かいわれ菜)です。
 朝の献立は、切身鯛や巻湯葉などを用いた麦味噌仕立ての煮物と、生麩などを用いた茶碗もの(これはどういう料理か、詳しくは不明)、香の物(大根冬漬けと、みょうが酢漬け)、すまし汁(ごぼう、れんこん小口切り、みじん菜)です。
 文書への書き方としては、料理の品が段々に左下へさがっていくように書かれていて、最後の御汁(味噌、すまし)は少し戻って右下の余白に書かれています。

「「御巡見様在中御休泊御献立書上帳(ごじゅんけんさまざいちゅうごきゅうはくごこんだてかきあげちょう)」から、西阿知村御泊、精進メニュー」の画像
「御巡見様在中御休泊御献立書上帳(ごじゅんけんさまざいちゅうごきゅうはくごこんだてかきあげちょう)」から、西阿知村御泊、精進メニュー

 また、魚類等を避けて湯葉や麩を中心にした精進もののメニューも別に用意されており、祖先の忌日などに当たっていた人たちのためではなかったかとみられます。比較のために同じ西阿知村での献立から、精進メニューも掲出しましょう。
 晩は、酢和え(揚げ麩、瓜、みょうが)、煮物(大椎茸、長芋、菓子こんぶ)、香の物(瓜奈良漬、茄子当分漬)、味噌汁(細湯葉、かいわれ菜)です。
 朝は、麦味噌仕立ての煮物(生麩、巻湯葉、木くらげ)、あんかけ角豆腐などの茶碗もの、香の物(大根冬漬け、みょうが酢漬け)、すまし汁(細せんごぼう、れんこん小口切、みじん菜)です。
 こののち一行は勝尾村(休)、金川村(泊)、東軽部村(休)、市場村(泊)、藤井村(休)を経て岡山城下の本陣に泊り、旭川から乗船して児島湾奥の天城村へ(泊)、そして日比村(休)から讃岐国の直島を経て、牛窓村(泊)、西須惠村(休)、西片上村(泊)、三石村(昼休憩と宿泊)を通って行程を終えます。
 この献立書上帳には、城下を除いた、領内の在方(農山漁村地域)の各村で用意される食事の献立がすべて書き出されています。おそらく、その手配に奔走したのは村人たちの代表者である大庄屋や庄屋といった村役人たちで、献立書上帳は巡見使に随行した”附き廻り大庄屋”たちから郡奉行へあてて上申される伺い書のかたちになっています。そして朱筆による添削があちこちに入っているので、これは提出前の草稿が残されたものかと考えられます。

「「御巡見様在中御休泊御献立書上帳(ごじゅんけんさまざいちゅうごきゅうはくごこんだてかきあげちょう)」から、勝尾村御休」の画像
「御巡見様在中御休泊御献立書上帳(ごじゅんけんさまざいちゅうごきゅうはくごこんだてかきあげちょう)」から、勝尾村御休

 西阿知村を出立した後に訪れた、勝尾村の昼の献立です。
 通常の献立は、煮物(鯛切身、ごぼう、かき豆、錦麩、くわい)、うなぎ蒲焼、香の者(瓜当分漬、茄子奈良漬)、味噌汁(細根大根、あられ麩)ですが、鰻は当時、児島湾でもとれた名産でした。香の物の「当(當)分漬」はよくわかりません。
 精進ものの献立は、煮物(巻ゆば、かき豆、錦麩、れんこん、長いも)、和え物(こごりこんにゃく)、香の物(瓜当分漬、茄子奈良漬)、味噌汁(細根大根、しいたけ)です。

3 なぜ藤原家に文書が伝わってきたか

 元禄時代に津田永忠の提唱で開発された広大な干拓地、沖新田の三番でそののち大庄屋を勤めてきた藤原家は、弥一右衛門が当主であった文化15年(1818年)に藩への多大な貢献を行ったことからか苗字帯刀を許されており、その子の深蔵の代になって天保9年の巡見使を迎えました。ところがこの年に訪れた巡見使は、沖新田には休憩も宿泊もしていません。それなのになぜ、藤原深蔵のもとに多数の関連文書が残されてきたのでしょうか。
 藤原文庫には「御巡見御郡之御休泊御仕構下方心得左之通」で始まる一通の分厚い文書(表紙は欠損)があり、大庄屋や庄屋などの村役人が巡見使を迎えるときの諸事心得が書き記されています。これは、いわば巡見使への対応マニュアルをまとめた総合冊子のようなものですが、その後半は迎接に携わったさまざまな人々の名簿になっています。このうち、休泊先の村々や船中での用務に携わった多数の大庄屋・庄屋の名前が続いたあと、名簿の末尾に巡見使3名の「附き廻り大庄屋」として6人の名前があがっており、ここに本使の諏訪縫殿助へ随行した2人の大庄屋のひとりとして、(沖新田)三番の(藤原)深蔵の名前が記されていました。

「御巡見御郡之御休泊御仕構下方心得左之通(ごじゅんけんごぐんのごきゅうはくごしこうかほうのこころえひだりのとおり)」の画像
「御巡見御郡之御休泊御仕構下方心得左之通(ごじゅんけんごぐんのごきゅうはくごしこうかほうのこころえひだりのとおり)」

 この文書は巡見使を領内に迎えるためのさまざまな手配や段取りをまとめたもので、岡山藩で迎接の任にあたった郡奉行(こおりぶぎょう。在方支配の責任者)の谷藤右衛門と福田甚佐衛門の名前で出されています。
 この文書の後半を占める関係者名簿では、休泊先や船中で用務にあたった多数の村役人(大庄屋、庄屋)に続いて、末尾に「御付廻り大庄屋」6名の名前があげられており、ここに掲出のとおり、本使・諏訪縫殿助付きの大庄屋のひとりとして三番・深蔵の名前が明記されています。このことから、天保9年の巡見使迎接において、彼が大きな役割を果たしたことが読み取れます。

「御巡見御通行ニ付御郡々御分米より魚鳥主迄書出留帳(ごじゅんけんごつうこうにつきごぐんぐんごぶんまいよりぎょちょうしゅまでかきいでとめちょう)」の画像
「御巡見御通行ニ付御郡々御分米より魚鳥主迄書出留帳(ごじゅんけんごつうこうにつきごぐんぐんごぶんまいよりぎょちょうしゅまでかきいでとめちょう)」

 以上のことから藤原深蔵は、その立場から巡見使が通る岡山藩領内の全ての行程にわたって準備状況を把握する必要があり、郡奉行へ上申するさまざまな文書を取りまとめて、その裁可を得ながら多端の準備に奔走したものとみられます。そうしたことが、藤原家に多数の巡見使関連文書が伝わってきた理由とみられます。
 彼は随行する巡見使からの問いかけに対して的確に答えられるように準備しておく必要もあったようで、領内のさまざまなことがらについて該博な知識を得るためか、2名の郡奉行の名前で作成され、領内の村数、人口、地形、里程、産物などの地誌的情報を詳細に書き上げた分厚い文書も所持していました。上に掲出したのがそれで、このページには熊山、金山、旭川といった自然地形(山岳、河川)とその特徴が書き出されていますが、文書の末尾近くには、領内でとれたさまざまな種類の魚や鳥の名前が多数列挙されています。
 しかし藤原深蔵は諏訪縫殿助に領内をずっと付き従い、説明や案内をして、ときには頼りにもされたかも知れません。厳しい封建時代にあっても、2人の間にはそれぞれの役目と越えがたい身分の差を超えて何らかの心の交流が生じていたかどうか、史料が語りかけるその先までを想像してみたくなります。

「竹中彦八郎様御家来中様買物代銀札書上帳(たけなかひこはちろうさまごけらいちゅうさまかいものだいぎんさつかきあげちょう)」の画像
「竹中彦八郎様御家来中様買物代銀札書上帳(たけなかひこはちろうさまごけらいちゅうさまかいものだいぎんさつかきあげちょう)」

 これは巡見使の副使のひとり、竹中彦八郎とその家来たちが購入した伊部焼(備前焼)の代金書き上げ帳です。上段に金額とその小計が、下段には焼物の器種とそれぞれの個数が、3ページにわたって書かれています。
 幕府の威光を全国に及ぼすため、重い役目を帯びてきた巡見使一行ですが、その旅は当時としては大変貴重な諸国を巡る機会でもありました。数か月に及んだ地方巡察も備前国での任務が最後となり、それも次に国境の三石峠を越えればいよいよ一段落というとき、一行が焼物の名産地の伊部で土産をたくさん買い上げていった様子がうかがわれます。天保9年7月のこの文書は、伊部の細工人で長十郎という名の人から大庄屋たちへあてて出された金額の報告書です。

「御巡見使様御用通人足賃銀諸御郡割(ごじゅんけんしさまごようとおりにんそくちんぎんしょごぐんわり)」の画像
「御巡見使様御用通人足賃銀諸御郡割(ごじゅんけんしさまごようとおりにんそくちんぎんしょごぐんわり)」

 この文書は天保9年11月の日付のもので、巡見使の一行が去ったあと、かかった経費を算出した多くの書類の中のひとつです。この文書には朱筆で頻繁に修正が入れられており、藩へ提出する前の草稿が残されたものかとみられます。
 荷物を運搬した大勢の人足と馬匹、あるいは船を操った水夫の代金など、巡見使を迎えるためにかかった費用は大変なものでしたが、それらの経費の精算にかかわるこまごました業務も藤原深蔵など多数の有能な村役人たちが切り回し、郡奉行がこれを確認して裁可する、というかたちで事務が進められたようです。
 天保期といえば、藩の財政は窮迫しています。かかった莫大な経費は、領内の各郡へ石高に応じて賦課されており、領民にも協力という名目で重い負担がのしかかったことと推察されます。同様の表題がある翌12月付けの別の文書では、各郡への割賦額が一覧にして書き出されているからです。

「沖新田東西之図」(文政元年(1818年))の画像
「沖新田東西之図」(文政元年(1818年)) 

 当館所蔵「沖新田東西之図」(岡山市指定重要文化財)を参考に展示しています。これは元禄時代に岡山藩の重臣、津田永忠の提唱で開かれた沖新田の全貌を文政元年(その年に文化15年から改元)に描いた絵図で、三蟠村役場に伝来してきたものです。
 旭川の河口から吉井川の河口までを長さ11km余りの堤防で締め切って干拓造成された沖新田では、新開地らしく地名(村名)の多くは番号によってつけられています。この図の向かって左側にある縦長の白地の部分が三番(村)で、その区画の中の上方に大きく描かれている建物が、三番村のみならず上道郡で有力な大庄屋を勤めた藤原家の屋敷です。

4 どのようにして関連文書が見出されたか

 藤原文庫の約1000点の文書は、図書分類基準にもとづいて目録が作成され、昭和35年7月に国富文庫とあわせて公開されてきましたので、その中に「巡見使」や「巡見」の名称を含む文書が散在することは、すでに知られていたと思われます。
 しかし、このたび資料保存のためのデジタル撮影作業に着手し、文書のひとつひとつを詳しく確認する機会を得たところ、表題に巡見使関連の言葉を含む文書の多く(すべてではない)で、表紙の右上部分に朱文字で通し番号が記されていることに気がつきました。このことは、巡見使関連文書がかつては一括で扱われ、まとまって保管されていたことを示唆しています。
 そこで約1000点の文書から、天保9年を前後する年代の文書と、表題の内容から関連がうかがわれる文書を、まずは目録から見当をつけ、そうして選んだものを実物に直接あたって朱文字の番号の有無を確認しました。その結果、5つの収納箱に飛び飛びになっていた46件の文書が、この年の巡見使迎接に関連するものであることが判明しました。しかしその中には複数の文書をひとつに綴じ合わせたものもあるので、数え方によっては51件になりますし、うち1件(「人馬駄賃帳」)は巡見使との関連が確定的ではないため、総計では約50件ということにしました。これは暫定的なものですので、今後の精査次第では若干増加する可能性もあります(平成29年11月17日、新たに1点を確認したため文書件数等を修正)。
 文書をこの朱文字の番号に従って並べ替えてみたところ(以下に添付の「藤原文庫に含まれていた巡見使関連文書(暫定版)」PDFを参照)、作成期日が記されている文書は、例外も多いものの、おおむね時系列の順序に近づき、(1)事前の準備に関わるもの、(2)巡見使の来訪時に近い頃のもの、(3)事後の精算や報告の文書と、できごとの流れに沿っておおまかに並ぶようになりました。
 そして互いに関連する内容の文書が隣接するようになりました。たとえば、朱文字番号の7番と8番の文書はいずれも人足の人数を見積もった文書ですし、事前に他国の様子を聞き合わせた「伯雲両州聞合書写」(朱文字の30番)と「御巡見様御通行芸州表聞合之趣書上帳」(朱文字の31番)は隣り合わせになり、かかった経費の精算業務と郡割りでの賦課に関係するとみられる「御巡見使様御用通人足賃銀札諸御郡割」など3通の文書が、朱文字の番号の34番(2通)と35番になっていました。それらはこれまで、図書館の資料請求番号では離れて置かれ、別の箱に仕分けされていました。
 こうしてこのたび巡見使の関連文書を通じて明らかになったことは、藤原文庫の他の文書や、図書館の図書分類基準に従って配架されてきた当館の他の古文書を利用する際にも、注意を要するものと思われます。

「巡見使関連の多くの文書では、表紙の右上に朱文字で通し番号が記されています」の画像
巡見使関連の多くの文書では、表紙の右上に朱文字で通し番号が記されています

 なお、藤原文庫には以下に掲出したとおり、水損などで紙質が非常に劣化しているものもあり、巡見使関連文書にもそうした文書が含まれています。紙の原本を確実に保存しながら利用をいかに広めて行けるかが課題となっています。

「表紙がちぎれてなくなり、傷みの激しい文書」の画像
表紙がちぎれてなくなり、傷みの激しい文書

「水損で紙が劣化し、破れてしまった文書」の画像
水損で紙が劣化し、破れてしまった文書

連携展示「ひろがる食の輪 ~岡山の食文化~」について

 昨年度に「ひろがる酒の輪」と題して、備前市、瀬戸内市、赤磐市、岡山市の13の資料保存機関(博物館、図書館、記録資料館、埋蔵文化財管理センター)が連携し、「酒」を共通テーマした展示を行って好評をいただきました。
 今年度の連携展示は、多様な岡山の食文化をテーマに、昨年度とは少し異なる瀬戸内市、赤磐市、岡山市、総社市の下記の11の機関によって、この秋から冬にかけて開催されます。小さなコーナーの展示であっても、それぞれ工夫をこらし、その機関がもつ個性を競うように知恵を出し合っています。それぞれの展示会場を訪ね歩いて、ひととき豊かな自然の幸に恵まれた岡山の食文化の多様性に思いを巡らせていただけたらと存じております。

<平成29年度の連携展示 参加機関とテーマ>

赤磐市吉井郷土資料館「ごちそう赤磐 ~郷土のおいしい記憶~」
岡山映像ライブラリーセンター「味わう岡山 酒のアテ」
岡山空襲展示室「ひもじさを数えて -戦中戦後の岡山食料事情-」
岡山県立記録資料館「あじな岡山路(じ)ゃ」
岡山県立図書館「あじわい岡山 郷土料理とご当地グルメ」
岡山県立博物館「正月の食卓」
岡山シティミュージアム「岡山と鉄道展 ~駅弁の掛紙コーナー」
岡山市立中央図書館「天保9年 江戸幕府・諸国巡見使への献立」
岡山大学付属図書館(中央図書館)「岡山のハレの献立」
瀬戸内市民図書館「瀬戸内市の農業いまむかし&セトウチキレイの”おいしいモノ”」
総社市まちかど郷土館「神饌(みけ) ~神様の召し上がる食事」

詳しくは、以下に添付したPDFファイルをご覧ください。

関連行事「シンポジウム 岡山の食文化」

日時 平成29年12月9日(土) 14時~17時
場所 岡山市立中央図書館 2階 視聴覚ホール
講師 連携展示の開催各機関の担当者(数名を予定)
参加方法 定員80名、先着順(申し込み不要)、参加無料

各機関の担当者が展示にまつわるエピソードやこぼれ話を持ち寄って発表を行います。肩の凝らない楽しい会にと考えています。
当館の巡見使の展示についても、この中で担当者が紹介を行います。

なお、開始前に図書館の建物に近い第1、第2駐車場が一時的に混雑することもありますが、その場合は旭川の土手に近い第3駐車場のご利用をお勧めします。

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