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(6~7月) 「岡山空襲と国富家文書 ~戦災をくぐり抜けた城下町の記録~」

開催概要

期間 平成27年6月9日(火)~7月3日(金)
場所 岡山市立中央図書館2階 視聴覚ホール前 展示コーナー

開催趣旨
 岡山城下町の惣年寄(そうどしより)を勤めた豪商、国富家の文書(岡山市立中央図書館蔵「国富文庫」474点)は、藩政期の岡山城下町の市政や民情を知るのに欠かせない資料です。
 本展では、国富文庫の中で、京橋架け替えにかかわる一群の文書等、そのエッセンスを展示公開するとともに、それが昭和20年6月29日の岡山空襲を奇跡的にくぐり抜け、戦時下の警戒の中で最初の整理が行われ、岡山市民の貴重な財産となったいきさつを紹介します。

藩政期の市政の記録、国富文庫

 塩涌屋(しわくや)国富家は、岡山城下町で生魚商および金融業で栄え、江戸時代後期には巨額の資金で藩財政を支えるなど、岡山藩で群を抜く財力を有していた豪商でした。ことに幕末の嘉永7年には、町奉行の指揮下で城下町の民政や財政を取り仕切る町民の最高位者、惣年寄(そうどしより)に任ぜられ、そのため国富家に多数の市政の記録が残されました。
 岡山では、町の役人を務めた富商・豪商の文書の多くが昭和20年の戦災などで失われたので、国富文庫は、まとまった資料群としては、ほぼ唯一の町方(まちかた)の記録であり、藩(武家)の記録の宝庫である池田家文庫(岡山大学付属図書館蔵)と補い合う関係にあります。

展示品

「御触留(おふれどめ)」 15冊 寛文7年~12年 (国富文庫 093-1)
 新たに設けられた規則や禁制、将軍や藩主の慶弔など、藩庁から町の住民へ重要事項が伝えられるときは、高札(こうさつ)によるか、触れを通じて周知が行われました。この冊子は、町役人として触れの伝達にもあたった国富家が、その控えを記録した文書です。

「町方所々門柵番屋町代屋敷竹垣共留帳」 明和8年 (国富文庫 096-50)(添付画像1を参照)
 城下町を構成する町の各所には門や木戸(柵)が設けられており、防犯や安全のため夜間は閉ざされました。この文書は、番屋なども書上げ、城下町の門・柵の概要を町別に一覧にまとめたもので、朱字で夜間の閉門の時間が記されています。

「嘉永七年銀札一匁を一分通用被仰付候(おおせつけられそうろう)同日晩大地震」(国富文庫 093-53)(下に掲出の画像)
 幕末の嘉永7年、岡山藩では洪水や旱魃(かんばつ)が続き、幕府からは外国船に備えて房総半島の警備を命ぜられ、財政が逼迫(ひっぱく)しました。そのため、藩が発行していた銀札(ぎんさつ=銀貨に代わって流通させていた紙幣)との交換比率を10分の1に切り下げるという強硬手段で切り抜けようとしましたが、これにより群衆が集まり市中は騒然。しかし、そのとき安政南海大地震がおこり、潰れ家や怪我人が続出。多くの人が家を空けて舟上で夜を明かすなど、取り付け騒ぎどころではなくなるという一件がありました。これは、このときから惣年寄役を仰せつけられ、事態の収拾にあたった国富源次郎が、一連の経過を書きとめた貴重な記録です。 

「地震二而(にて)潰家(つぶれや)怪我人其外(そのほか)所々損し所書上(かきあげ)」(国富文庫 093-54)
  幕末に西日本を襲った安政大地震に関連する大地震(安政南海大地震)の、岡山市中の被害状況を町別にまとめた文書です。

「紙屋町火事一件留」 天保14年 (国富文庫 093-41)
「滝本町火事図」 (国富文庫 093-45)
 木造家屋が密集する近世の都市では、しばしば大火が起こりました。いずれも岡山城下で起こった火事の記録です。

「町御会所(まちごかいしょ)御普請御入用請払留帳」安政4年 (国富文庫 096-52)
町奉行のもとで惣年寄らの町役人が政務をとっていたのが町会所で、市民に時を告げた三層の高楼、鐘撞堂(かねつきどう)も、この役所に付属していました。この文書はその建物の普請にかかわる会計記録です。

「嘉永七年銀札一匁を一分通用被仰付候(おおせつけられそうろう)同日晩大地震」の画像
「嘉永七年銀札一匁を一分通用被仰付候(おおせつけられそうろう)同日晩大地震」(国富文庫 093-53)

京橋掛け替えにかかわる文書

 国富文庫の多数の貴重な文書の中でも、ひとつのハイライトは京橋掛け替えに関する資料です。
 江戸時代の岡山市中では小橋・中橋・京橋の3橋が旭川の両岸を結ぶ唯一の橋梁で、水陸の交通の要所でした。京橋は洪水や改築のため幾度か掛け替えられましたが、国富文庫には幕末の弘化4年の普請の関係文書がまとまって伝わり、工事に際しての交通規制や、京橋と惣門の普請、華やかな渡り初め式の様子などが、つぶさにわかります。

展示品

「京橋御懸ケ替(おんかけかえ)御渡リ初(ぞめ)之(の)留(とめ)」 弘化4年 (国富文庫 096-41)(添付画像2を参照)
 京橋の掛け替えの普請や渡り初め式について、その詳細を書きとめた記録です。

「京橋懸替(かけかえ)附(つけたり)」(国富文庫 096-47)
 虫損等で傷みがひどい文書ですが、冒頭に弘化4年以前の6回の掛け替えと、弘化4年の渡り初め式の参加者名が記載されています。

「京橋渡初(わたりぞめ)図」(彩色木版図) 弘化4年 (国富文庫 096-42)(下に掲出の画像)
 木版多色摺の錦絵です。見物の群衆で賑わう華やかな渡り初め式の様子が眼前に浮かびます。

「京橋掛替(かけかえ)図」 弘化4年 (国富文庫 096-43)
 京橋と、その西詰にあった惣門の掛け替え・建て替えの普請の範囲が示されています。

「京橋詰(づめ)惣門(そうもん)御建替(おんたてかえ)御入用帳(おんいりようちょう)」弘化4年 (国富文庫 096-44)
 京橋の西詰めにあった惣門(その後、移築され現存している)の建て替えに関する会計記録です。

「京橋渡初(わたりぞめ)図」の画像
「京橋渡初(わたりぞめ)図」(彩色木版図) 弘化4年 (国富文庫 096-42)

岡山空襲と国富家文書

 国富家の養嗣子となった国富友次郎氏(明治3(1870)年~昭和28(1953)年)は、岡山実科女学校(のちの就実学園)の創設に尽力し、県・市の教育会会長を務めるなど教育界で活躍、岡山県議・岡山市議等を経て第15代岡山市長に就任し、昭和15年から19年まで戦時下の困難な時期に市政の舵取りを行いました。
 市内の旧紙屋町(現在の表町三丁目)にあった国富家の本邸は昭和20年6月29日未明の岡山空襲で罹災しましたが、土蔵の中で奇跡的に焼け残った文書・記録類は、友次郎氏が岡山市への寄付を表明され、臨時市役所となっていた弘西国民学校へ搬出され、空襲への警戒下、郷土史家の渡辺知水氏らが最初の整理を行いました。
 そして終戦後の昭和20年10月14日に弘西国民学校で市民へ一般公開され、現在は「国富文庫」として岡山市立中央図書館で保存されています。
 なお、教育者であった国富友次郎氏は、岡山市内きっての文化人であり、とりわけ茶人・歌人として知られた人でした。小学校教員から『児島郡誌』などの執筆を機に郷土の歴史家へと転じた渡辺知水氏を引き立てて、戦前には本邸へしばしば招き、土蔵も案内していたことから、それが知水氏による空襲直後の文書整理と、岡山市への寄付の仲介の契機となりました。そこで友次郎氏と知水氏の心温まる交流を紹介し、晩年の友次郎氏が空襲時や戦後の心境を詠んだ和歌と書の作品を展示しています。

展示品

「国富源次郎居宅図面」 (国富文庫 095-3) 
 旧紙屋町にあった、幕末の頃の国富家本邸の図面です。膨大な書画や茶道具類、記録文書等を納めていたという多数の土蔵がみえます。

「昭和20年9月 国富文庫目録 岡山図書館」(控え本)
 『岡山市史戦災復興編』に収録されている「渡辺知水日誌」(後述)からうかがわれる、空襲への警戒下で行われた最初の整理の目録のひとつ(控え本)が現存しています。戦時下で紙質が非常に悪く、大変劣化しています。推敲のあとがあり、手書きで書かれています。
 
国富家文書の公開を報じた合同新聞記事(昭和20年10月15日)(原本は劣化が著しく、画像展示のみ)
 終戦前後は印刷事情が非常に悪く、読みづらいですが、国富家文書が昭和20年10月14日に弘西国民学校(現在の岡山市立中央小学校の位置にあった学校で、昭和20年10月まで臨時市役所)で一般公開されたことを報ずる記事が掲載されています。
 国富家文書は、戦前にも一部が岡山市史などへ引用・掲載されましたが、このときの展示公開は、寄附により市民の財産となったことを周知するものでした。

岡山市史編集委員会編『岡山市史 戦災復興編』 昭和35年
 岡山市史は大正期、昭和戦前、戦後と3期にわたり刊行されましたが、戦後の市史で、総説に次いで刊行されたのがこの戦災復興編でした。その末尾近くに市史編纂の顧問を務めた渡辺知水氏の日誌が抄出されており、国富家文書の寄付に触れた箇所があります。

国富先生のおもかげ刊行会編『国富先生のおもかげ』 昭和31年
 国富友次郎氏の没後、さまざまな関係者が思い出を綴って寄稿し、発刊されたこの書物で、渡辺知水氏は友次郎氏との心温まる交友と、土蔵にあった文書記録のことに触れています。

国富興一編『国富友次郎歌集 小屑籠』 昭和44年
 歌人としても知られた国富友次郎氏の遺稿を子息の興一氏がまとめた歌集です。謹厳実直で知られた友次郎氏が晩年の心境を吐露した歌が多く、空襲時に詠んだ歌や、空襲を追想した歌が含まれています。
 下記の4歌と下に掲出の画像(当館所蔵の国富友次郎氏の書軸)の歌は、いずれも「小屑籠」に収録されています。

  空襲後雨ふれる時
うたれたる人のなみだか
夕立の雨に血汐の色は見えねど

  おもひをのぶ
帰るにも家なき身には
露の上にやどれる月もねたましきかな

  空襲一周年に
夢かあらぬうつつかあらぬこぞのけふ
にげ難みたることをおもへば

  懐    旧
妻に孫右手に左手に引きつれて
にげなやみたるむかししのばゆ

「国富友次郎(号:直香) 和歌・書 「見ても又またも見まくもほしきかなむかしの庭の苔の緑を」」の画像
国富友次郎(号:直香) 和歌・書 「見ても又またも見まくもほしきかなむかしの庭の苔の緑を」

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