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宇喜多 直家
享禄2年(1529)、備前国邑久郡豊原荘(現・岡山県邑久郡邑久町)の砥石城に生まれる。祖父の能家が滅ぼされた後、備後鞆・備前福岡・同笠加を転々とした後、天文12年(1543)、旧主家である浦上宗景に出仕しました。同年初陣で功を挙げ、翌年には小城塞・乙子城の城主に抜擢された直家は、ついには祖父の旧領地をも奪回しました。そして、その後も数々の武勲をあげた直家は「戦国大名」となり、岡山の石山城に入城。これが岡山城の前身となり、「城下町・岡山」の歴史が幕を開けました。
宇喜多 秀家
宇喜多直家の子で、父の病没後、9歳で家督を相続。翌年毛利征伐のため出陣してきた羽柴秀吉(豊臣秀吉)に気に入られ、養子扱いの厚遇を受けました。秀吉の天下取りの戦いに積極的に参戦、数々の戦功を挙げ、天下統一後は57万4千石を知行する大大名に躍進した後、徳川家康、前田利家らとともに豊臣政権の最高機関である五大老に任じられ、名実ともに政権の実力者に名を連ねました。 |
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