岡山市民の文芸
随筆 −第31回(平成11年度)−


夏の客 前原 和子


 娘一家の夏休み旅行計画に協力して、わが家にモモが預けられにやってきた。
 食糧はもとより爪磨き、おもちゃ、砂トイレまで持参である。五歳だから妙麗の女ざかりのはずが避妊手術をしているせいかいつまでも子供ぽくて甘えん坊である。
 全身真黒、天鵞絨のように艶のある毛、金いろの眸、躰の割に顔が小さいのはペルシヤ系なのか。黒い毛糸玉のような彼女が家族になったときからのおつきあいだが、ひとり暮らしのわが家に泊まるのははじめてのこと。
 ともあれ一家三人がモモを残して出発したあとの彼女の怒りと途惑いはいかばかりか。
 広くもない家の中を偵察、ライオンが獲物を狙う姿勢で箪笥の上からクーラー、神棚まで嗅ぎ回りこの家のあるじたる私には目もくれない。その間「ニャン」の一声も発しない。
 拍子抜けした私はご機嫌とりをやめて無視作戦。数時間経ってやっと落着いたのか足元に躰をすりつけてご挨拶。けれどもいつものボール遊びや猫じゃらしに身がいらず、ともすれば玄関に行き扉に神経を集中しているようである。
 寵愛を一身に享け一家の主のようなデカい態度で気ままに暮らす身が、ある日突然他家に置き去りにされた。そのショックに打ちのめされたのか持参のフードも一向に減らない。
 夕食の魚の塩焼きを念入りにほぐしてやっても、お気に召さぬのか横を向いてしまう。
 夜はまたしても玄関マットに寝そべっていくら呼んでも知らんぷり。私の視野に居ないので気になって何度も起きて行ってみる。
 ひんやりと涼しくて居心地がいゝから此処に居るのか、私の目には家族の迎えを待ちわびているように見えホロリとする。
 翌日は水墨画教室へ行く日なので、外に出られぬよう厳重に戸締まりをして出かけた。
 いつもと違って心ここにあらず、寄り道もしないで大急ぎで帰り着く。何と数年経験したことのないお出迎え!ニャーとすり寄られるといとしさがこみあげる。
 曽って一歳にもならぬ幼い猫を交通事故で死なせた心の傷の癒えない私は、以後どんなに愛らしい猫でも絶対に飼わないと決心しているが、その固い決意もゆらぎそうである。
 トイレの仕末、食欲の心配、遊びの相手、脱走の監視、と他の事に手がつかない。
 あるときは足元にもつれたはずみで踏んづけてしまい、ふたりともに「ギャーッ」
 二泊三日がまたたくまに過ぎた夜八時、車の音にモモの耳がピクリと動く。
 「オ帰リナサーイ」
 何ということ彼女は抗議するかのように太く長い尻尾を狸みたいに膨らませてあとずさる。あとは三人と一匹はメロメロ、熱い抱擁を交々くりかえし「ありがとう」と嵐のように去って行った。気温がぐんぐん上がり丹精のへちまの実も肥った。私にはもとの平穏な日常が戻り自己研鑽の学習にも忙しい。
 でもモモちゃん、たまには遊びにおいでね。



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