岡山市民の文芸
随筆 −第27回(平成7年度)−


流れて行く 西川 はる


 ふいに視界の中へ蛇が二ひき入って来た。白い腹を見せ尾が宙をさしている。逆立ちという異形で死を纏って用水路の中を流れて行く。逆立ちしているのは一ぴきで、もう一ぴきは、不確かな太い曲線を描きながら水面すれすれのところを行く。おそらくは番いであろう。二ひき共にかなり大きい。とっく、とっくと流されて行く。
 雨が降って傘をさして歩いている私の目がこれだけのことを一気に捉えていた。蛇は好きではない。出来れば会いたくない相手だけれど、出会えば射すくめられたようにみつめてしまう。誰かに、しっかり見よと命ぜられているような気もする。
 蛇の不気味さは手足のないこと、のっぺりと只長いことにあるように思う。けれどほんとうのところは、形態の違う不思議さではなかろうか。不気味さを不思議さと言い換えたとき、少しだが世界が変って見える。
 二ひきの蛇の死体は水嵩の増した用水路を流れて行ってしまったが、秘められた葬儀の舞を見たかのように私は残像を抱えて立ったままでいる。
 私が住むこの辺りは明るくひらかれた農村のたたずまいであるが、周りに低い山が残っていて、昔は一帯に稜線を連ねていたであろうことを偲ばせている。その名残りのように蛇が出没している。まれに蝮を見かけることもある。
 六月は蛇が元気になる時だ。元気な分だけ人目につく。水田にも入って行く。殺されるのはそんな時であろう。叩きのめされた形で路上に放り出されていることがある。やがてカラスやトンビに運ばれて彼等の餌食にされる。目には残酷な風景だが、いのちが他のいのちを支えている原図である。
 とっく、とっくと流されていったあの二ひきも、流され流されながら、水に棲む小さな生きもの達の胃袋におさめられていく。
 それにしても、この二ひきに対峙した猛者は誰であろう。私は土の匂いのする顔を、あれこれ思い浮べながら歩いて行く。
 背後から、たて続けに五、六台の車が追い越して行った。雨は一向にやむ気配がない。



短歌俳句川柳現代詩随筆目次
ザ・リット・シティミュージアム