岡山市民の文芸
随筆 −第18回(昭和61年度)−


眉墨 額田 昭子


 あけたはずみに砕けて落ちた。拾うと、はかなく消えた。はっとして指を見る。指先は暗い灰色に染まり、その灰色は不吉な雲となって胸に広がると私はへなへなと鏡台の前に坐り込んでしまった。
「あなた死ぬわ。二十七で死ぬわ。子供を二人産んでね。」あの声を又しても思い出した。子供同士のたあいない占い遊びのたわむれとはいえ、浴びせられた呪いは長い間私を苦しめていた。もう、その二倍も長く生きれたというのに。
 この眉墨を買ったのは、まさに『死期』のせまった頃だった。近所の小間物屋に行き、小さな買物をして出ようとすると、女主人が呼びとめた。
「お化粧をなさいませんか」と、白粉だの口紅だのをガラスのケースの上に出して見せた。「えっ、ええ。」私は素顔にパーマのかからぬ髪を頭頂で束ねていた。「あの、私、化粧するの好きでないんです。」秋のお空のうろこ雲、脂粉の女の美しさ、どちらも長くはもちません、そんな詩があったっけ。出ようとすると、又、呼びとめられた。「では、これをちょっと使ってごらんになったら。ほんの少しのことで、もっと生き生きしますよ。」不用不急の物を買うほど豊かでなかったが、買えないほど高価ではなかった。私の気が動いたと見たのか女主人は、「あの、失礼ですけど」と、ちょっとためらってからこう言った。「一生お使いになれますよ。」
 その一言が気に入って私は眉墨を買った。今も、まだ耳の底にある。しかし、よく考えてみると、一生使えるということは私の命ある限り眉墨はあるということで、眉墨があれば私の命があると保証されたわけではない。むしろ、眉墨の尽きる日、私のこの世に居ないことを意味するのである。
 私は眉墨を惜しんだ。滅多に使わず、殆どお守りのようにしまっていた。使うときは、そっといとしむように蓋をあけた。
 それなのに、砕けてしまった。眉墨は何としても生かさなければならない。私は息をつめてたんねんに墨のかけらを寄せ集めた。集めて元のケースの小皿に盛った。それから、どうしよう。しばらく思案してから、そのかけらを指先で軽く押して全部こなごなにつぶし、今度は思いきってぎゅっと押しつけてみた。何ということだろう。眉墨は固まってぴったり元のように納まったのである。予期せぬ成功であった。
 ほっとして顔を上げると、目の前にひどく真剣な顔がこちらを向いていた。一瞬驚いて、我にかえる。
 指紋の中に入り込んだ墨の微粒子はなかなかとれなかった。石鹸とブラシで思いきりこすった。あれは老いへの警鐘だったかも知れない。眉墨はまだまだ使える。「三倍で、八十一か」と、思わずつぶやくと、まだこだわっている自分がおかしくなった。たくましく生きなくちゃあ。ごしごしこするうち、胸をふさいだ灰色の雲は次第に流れていった。



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